チンチン電車の走った街〜門司・小倉〜
福岡県北九州市。西鉄発祥の地ともいえるこの町には西鉄の原点ともいえるチンチン電車(路面電車)が
市内各地を所狭しと走り回っていました。自家用車の普及により、電車の利用者も減り、
昭和55年には北方線(魚町〜北方)、昭和60年には北九州線のうち通称門司線といわれた門司〜砂津、戸畑線の大門〜戸畑、
枝光線の幸町〜中央町が廃止になり、平成4年には北九州線の路面区間砂津〜黒崎駅前が廃止となり、
平成12年11月にはついに最期の牙城となった黒崎駅前〜折尾間が廃止され、89年間の歴史に幕を下ろしました。
チンチン電車の走っていた門司・小倉の風景をご紹介します。
★チンチン電車の走った街〜門司〜
昭和60年ごろ撮影
門司駅前〜原町間の国道3号線を走るチンチン電車。
この区間は、何箇所か線路が出ている箇所がある。
今年でもう廃止になって16年かあ・・・。
門司駅前電停についた門司行き電車。
今では電車の走った後は見る影もないが、面影のまったく変わらない
門司駅の駅舎がしっかりと見届けていることだろう。
右側の写真に移っている639号の窓が昔のままなのがいい。
東本町電停で客待ちをする電車。
ここから桟橋通りへと向かい、門司区役所までの急坂を
モーターをうならせながら走っていた電車は
まさに圧巻であった。
★チンチン電車の走った街〜小倉〜
@ 花電車(わっしょい百万夏祭りから)
平成元年から4年にかけて撮影(撮影日不明)
毎年夏に行われている『わっしょい百万夏祭り』に平成4年まで
チンチン電車も花を添えていた。
私の本館にも掲載して
いるが、運転手の方が沿道の市民に手を振っている。
この花電車の運行が運転手にとって誇りの高い業務であることを裏付けている。
これ以降は平成4年10月25日撮影
A 米町〜小倉駅前周辺
電車が走っていたころは、変則的な一方通行になっていて、
門司方面からのバスもすべて小倉駅へ行っていた。
平和通の交差点の歩道もカメラを持った人たちが相当いるのがおわかりいただけるだろう。
モノレールの連絡歩道橋も時代を感じさせる。
現在ではモノレールはJR小倉駅に直結している。
まあ便利になったのはなったのだが・・・。
B砂津電停周辺
砂津の電車営業所前にはさよなら乗車をしようとたくさんの市民が!
電車はフル稼働に近い状況で、どの電車も満員の乗客を乗せ、最期のお勤めを
していた。砂津や魚町では、電停に乗りきらない市民がかなりいた。
このような風景も電車が走っていたころは日常的なことだった。
ましてこの近くの専門学校に行っていた私は、ほぼ毎日電車がなくなるまで見ていたので、
電車がなくなってすぐのころは、寂しさを感じずに入られなかった。
入れ替えのための線路は砂津交差点の横断歩道ギリギリまでのびていた。
C砂津車庫
砂津発の最期のお勤めをする635号が車庫内で出番を待っている。
冷房改造車が所狭しと休息をしている。
よく見ると、廃止後も活躍しつづけた電車ばかりがいる。
車庫周辺では電車の姿を収めようと、こちらも市民がかなりいた。
Dさよなら電車出発
この日ばかりは連接車も稼動しており、最終日に花を添えた。
黒崎駅前行き649号もかなりの乗客を乗せ、黒崎までの最期の道のりをたどっていった。
結局西鉄の連接車には乗れなかった私であります。
ただし、北方線はほとんどが連接車だったのでこちらは何回も乗ったことがあったが、
ボギー車には乗ったことがありませんでした。
車庫内からさよなら電車が乗客を乗せて出庫。いよいよ砂津からチンチン電車の灯が
消えるときが来た。たくさんの市民に見送られ、黒崎車庫行きさよなら電車は砂津を後にした。
横にいる車の多いこと!この後、金田、到津、大蔵、中央町と進んでいくのだが、
どの電停付近にもチンチン電車との別れを惜しむ市民の方たちがかなりいて、
さよなら電車に手を振りつづけていた。
右の写真は?中央でVサインを出しているのが私です。